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WHERE TO GO? Blog

プチ停電で被災認識が変わる

20年前に阪神淡路大震災が起こり、奈良も揺れた。
余震の度に身が縮み、今でも地震が起きると「もしや」と思う。
東日本大震災ののち防災グッズが売れたように、20年前も備えが散々叫ばれた。
ラジオが要る、水が要る、水を入れる容器が要る、ソーセージ1本5千円……。
見知った土地が罹災した20年前の記憶はいつまでも生々しい。

話の規模は変わり、先日、自宅が局所的に停電した。
就寝中にささやかな爆発音が聞こえ、何事かと照明のスイッチを入れても反応がない。遠赤ヒーターのスイッチを入れてもやはり反応がない。
はじめは単なる停電かと思い、iPhoneのLEDライト(ちゃんとしたライトがあっても、使うのは手元の便利道具なんだと実感)を頼りにブレーカーを確認したが、それこそ何事もなかった。

分からないことはGoogle先生に聞く世代。
“停電 一部 ブレーカー”で検索すると、すぐ同条件の答えが見つかった。

『すぐ電気屋に連絡しろ』

深夜で電気屋は開いていない。
というわけで関西電力へ連絡。
30分もしないうちに2名のスタッフが来てくれた。
どうやら私の部屋のコンセント付近が原因らしく、調べてもらった結果「工事が必要」とのこと。
しかもちょっとした規模の故障らしく、やはり電気屋さんに依頼する必要があるらしい。

さて翌朝、というより数時間後である。
家人が連絡した知り合いの電気屋さんがすわ飛んできれくれた。
知らずに眠っていた私は叩き起こされ、寝間着のまま部屋を追われた。

この、覚醒してから数分の過程を想像してほしい。
寝起きのおふとんは自身の体温で暖められ、暫定世界一の気持ちよさである。
にもかかわらず、おふとんの外は電源の入らない遠赤ヒーターのみ。
……ここから出ろと?(出たけど)

修理が終わるまでの2時間弱、私は別室で震災による被災のことを考えていた。
あれば便利だろう程度に考えていた「手巻き充電式ラジオ」とか「カンパン」とか、そういうのは真っ先に必要なモノではないということだ。

もちろん被災の程度によって優先順位は変わるだろう。
しかし今日のような現実を見れば、何より毛布が必要だ。
水や情報を求める前に、毛布で体を温めなければならぬ。

ここで言いたいのは「毛布の大切さ」ではなく、少なくとも私が考えていた「備え」にはリアリティがなかったということだ。
十徳ナイフがあると便利だろう、記録のためにカメラがあるといいだろう、LEDライトは軍用のものがしっかりしているだろう、MTBが1台あると便利だろう、といった考えはあまりにも浅はかだった。

今の考えは違う。
もし無事に逃げられるなら、私の場合はスマートフォンを忘れないこと。
そのほかのことは、状況に応じて毛布でもカメラでも扇風機でも選べばいい。
自分にとって最優先となるモノ・コトを心に刻んでおくことが、何よりの備えだと思った。

フライングディスク!

昔は「フリスビー」と言った。
公園で、広場で、手軽に遊べる円盤を誰でも1度は見たことがあるだろう。
キャッチボールよろしくディスクを投げ合うだけのゲームが、私の中でちょっと熱い。

運動音痴の私が自転車に出会い、コンプレックスを克服した話はごく一部で有名であるが(意外と真面目な美談なのだ)、これで運動音痴が治るとか頭脳が柔軟になるとか、人間の根幹部分が変わったわけではない。

バッティングセンターでは空振りしかしないし、ボーリングのスコアは3桁を超えないし、去年は思い切って川へ入ったものの、泳ぐとか浮くとかいった芸当はついに成就しなかった。

しかし、こんな私にも「キャッチボールやろうぜ」と声をかけてくれる友人がいる。
せっかくだからと応じるものの、こちらがノーコンだから、友人サイドはキャッチボールをしているのか短距離走(反復)をしているのか分からない。
さすがの私にも罪悪感が生まれ、キャッチボールの機会も減ってしまったのがここ数年のことである。

話は戻り、フライングディスク。
暴投しても延々と転がっていかないところに魅力を感じ、アルティメットという競技で使われる公式ディスクをAmazonで購入(←リンク飛びます)した。

アルティメット用のディスクは大きく、重量があり、風の影響を受けにくく、まっすぐ投げやすいという口コミでチョイスしたものだが、慣れるまで少し時間がかかった。
ただ、フライングディスクに不慣れなのは周囲も同じ条件なので、暴投の罪悪感は早々に相殺される。

ディスクはゆっくりと飛び、少しくらい軌道が逸れても走って追いつくことができる。
わざわざジャンプキャッチをすると、自分の運動神経が向上したような錯覚に満足することができる。
自転車のボトルにVAAMを詰め、タオル2枚と着替え、無印良品の汗ふきシートも用意すれば完璧。
この夏は、朝も夜もディスクで遊んだ。
今日も補助輪が外れたばかりの少年のように、時間があればディスクのことを考えている。

というわけで、WHERE TO GO? ではフライングディスク部を設立し、部員(幽霊可)を募集中です。
アルティメットに加え、ひとまわり小さくて軽いGUTSディスク(←リンク先Amazon)もご用意しました。
活動場所は現在、奈良(平城宮跡と陸上競技場)と大阪・京都(淀川河川敷)とアメリカ(コネチカット州)(2015年3月より三重県津市)です。
この超健康的な集いに是非ご参加ください。

キャッチコピー抄

大量生産大量消費の時代にあって生産コストを度外視しながらも流通パターンを見直すことで優れたコストパフォーマンスを実現したただ流行を追い求めるのではなく古き良き時代の懐古主義に留まらない普遍的なテーマに立ち返り利用者に寄り添いながらひとつひとつ丁寧にこだわってひとりの職人が全工程に携わることで工業製品では味わえないハンドメイドならではのぬくもりが訴える表情は使い込むことでふたつとないエイジングを経る一生モノにふさわしい貫録をポテンシャルとして背景に秘めている次回入荷未定の食べて痩せる自分へのご褒美です。

丁寧な生活

例えば1メートル先のモノを取るときに、体を伸ばすのが子供、歩み寄るのが大人だと聞いた。
ペットボトルのお茶をラッパ飲みするのもいいが、コップに注ぐ余裕もほしい。
そろそろ落ち着いた大人になって、丁寧な生活がしたい。

ところで調理に使ったフライパンをお皿にすると便利である。
保温性に優れ、新たなお皿を洗う時間と水を節約できる。
のみならず菜箸でいただけばコンロから移動する必要すらない。
ただ、丁寧な生活とは言えない気がする。
そもそも「お皿を余分に洗わなくて済む”利便性”」という表現が、本質的に成り立つのだろうか。

こういうときは理屈でなく、感覚に従ったほうが早い。
即ち「落ち着いた大人が丁寧な生活をするときの食事」を想像するに、立ち食いはあり得ない。
お皿に盛りつけた料理を座って食べるだろう。
フライパンやお皿を洗うときに「浮かせることもできた水道代」のことは考えないだろう。
丁寧な生活は贅沢なのだ。

では、贅沢な生活が丁寧かというと、そうではない。
お金と幸せが結びつかないように、豪奢な生活を追い求めては本末転倒である。
ともすれば当たり前に過ぎていく日々の営みを慈しむことこそが丁寧な生活であり、豊かな生活とも言えよう。

しかし先に挙げた通り、日常のあれこれは、瑣末なものとなおざりにしがちである。
なぜなら切迫という名の妄念(本当に忙しく時間がないという状態は、冷静になればなるほど少ないと気付く)が次から次へやってくるから。

よく噛むとか、しっかり磨くとか、ちゃんと立つとか、意識する。
自分を肯定するために、少しくらい努力していい。

なんだかいいこと言ったような気がして満足◎

エスカレーター類

忘年会にお呼ばれし、せっかくだからと近隣のビルをまわった。そんな冬の夜の話。

ハービス・エントにはハイブラのテナントが多かった。
カーペットが敷かれた廊下はシャンパンゴールドの光に照らされ、重厚な雰囲気がテナントの価値を高めている。

一方、エスカレーター周りの照明は暗く、ここではエスカレーター本体に備えられたライトだけが保安の頼りである。これは意匠も兼ね備えているのだろう。人間がひとり通る幅しか持たないエスカレーターにおいて、追い越しなどあろうはずがない。ライト付きのエスカレーターはゆっくり動く。

こんな場所でコートからウィンザーノットを覗かせて闊歩していると、勘違いをしそうになる。
即ち「おれはこういった場にふさわしい人間なのだ」と。
一張羅のストレートチップに目をやり、ソファにくつろぐ。
すぐ目の前にある高級宝飾品店でプレゼント用のリングを物色することもやぶさかでない。

頃合いを見計らって店を出ると、いい時間である。
大阪駅前ビルの店へ急がなければならぬ。

件のエスカレーターを使って地下道へ潜り、数百メートルも歩かないうちに天井が低くなる。やがて年季の入った蛍光灯がタイルを照らし、目のホワイトバランスが狂う。

レモンイエローの光は、立ち飲み酒屋も激安DVD店も、地上へ上がるエスカレーターも、分け隔てなく照らしている。